2011.02.21 Mon
制作について考える。。。
最近、制作について語ってしまい、制作というモノについて考えてみた。。。
地方の劇団に属している“制作”ってのは、なんちゃ偉くもないし、スゴイ事でもないと思う。
役者と同じように、お客さんの事を考え、、、
役者が作品を考えるように、
違う角度から公演の事を考えればいいとハラジラは思うんだが、、、
制作をお手伝いさんと勘違いしてる人やら、
役者にヘコタレた人の行きつく先だと考えてる人も居るんだよねー
それ間違ってるからー


お手伝いさんは、責任を負わなくていい。
お願いされた事だけ、出来る事だけすればいい。
また、役者にヘコタレても、新しい目的を持って挑むのなら、ソレはソレで良い事です
元々ハラジラが制作をしたい!!!
って思ったのは後付けで、
ワルキューレの作品がスゲー面白いんで、もっと沢山の人に見てもらいたい。知ってもらいたい。
という想いが行動となって、大学の学園祭や、ホールの杮落としの公演を決めてきたのが始まりです。。。
ワルキューレが面白くなかったら、世間に知ってもらいたいとか考えなかっただろうな・・・
でもね、制作という名前を意識しだすと~
想いだけでは成り立たなかったりするのよ。
金銭的な結果が一番分かりやすいが、
制作という役割で挑んだのなら、赤字は自分が受け止めなきゃいけないよねー
勿論、役者がチケットを売ったとか売らんとか、話には聞くが・・・
役者がチケットを売る環境を整えるのも、制作だと思う。
スターでもおればね、グッズ販売とかも成立するんだろうが・・・
身内しか購入しないグッズ収益って・・・
痛々しいだけだよ。
じゃあ、補助金獲得
これも確実なモノではないし、情報が錯綜しているから、、、
難しいよねー
あったら嬉しい補助金♪
ぐらいにしといた方がいんだろねー
やっぱりね、人はお金で揉めるんで、お金って大事。。。
じゃあ赤字にならないように、チープな舞台にすればいいのか!?
って話じゃないよね、、、
んで、
制作として、
確実な作戦が立てれる賢い頭が欲しい!!!
という結論に至ったんだけどー
書きながら脳ミソがズレてきた気がする・・・
近日中に脳ミソを整理整頓して書き連ねるよ
地方の劇団に属している“制作”ってのは、なんちゃ偉くもないし、スゴイ事でもないと思う。
役者と同じように、お客さんの事を考え、、、
役者が作品を考えるように、
違う角度から公演の事を考えればいいとハラジラは思うんだが、、、
制作をお手伝いさんと勘違いしてる人やら、
役者にヘコタレた人の行きつく先だと考えてる人も居るんだよねー
それ間違ってるからー



お手伝いさんは、責任を負わなくていい。
お願いされた事だけ、出来る事だけすればいい。
また、役者にヘコタレても、新しい目的を持って挑むのなら、ソレはソレで良い事です

元々ハラジラが制作をしたい!!!
って思ったのは後付けで、
ワルキューレの作品がスゲー面白いんで、もっと沢山の人に見てもらいたい。知ってもらいたい。
という想いが行動となって、大学の学園祭や、ホールの杮落としの公演を決めてきたのが始まりです。。。
ワルキューレが面白くなかったら、世間に知ってもらいたいとか考えなかっただろうな・・・
でもね、制作という名前を意識しだすと~
想いだけでは成り立たなかったりするのよ。
金銭的な結果が一番分かりやすいが、
制作という役割で挑んだのなら、赤字は自分が受け止めなきゃいけないよねー
勿論、役者がチケットを売ったとか売らんとか、話には聞くが・・・
役者がチケットを売る環境を整えるのも、制作だと思う。
スターでもおればね、グッズ販売とかも成立するんだろうが・・・
身内しか購入しないグッズ収益って・・・
痛々しいだけだよ。
じゃあ、補助金獲得

これも確実なモノではないし、情報が錯綜しているから、、、
難しいよねー
あったら嬉しい補助金♪
ぐらいにしといた方がいんだろねー
やっぱりね、人はお金で揉めるんで、お金って大事。。。
じゃあ赤字にならないように、チープな舞台にすればいいのか!?
って話じゃないよね、、、
んで、
制作として、
確実な作戦が立てれる賢い頭が欲しい!!!
という結論に至ったんだけどー
書きながら脳ミソがズレてきた気がする・・・

近日中に脳ミソを整理整頓して書き連ねるよ
